良いものをさらにより良くすること。

こんにちは。
もうすぐ新年度を迎えようとしていますね。

未だ確定申告に手こずっている星月夜のmegです。

現実逃避しながら、今日は最近考えていることを書きます。

もっといいもの、もっといい状態

昨年末、ふらっと訪れた素敵なカフェで、とある本に出会いました。

みんなのちきゅうカタログ』という本です。

葉っぱをよく見てごらん。

1本の太い脈から細い脈が葉っぱ全体に広がっている。

これってぼくたちの体のなかをめぐる血管と似ているよね。

木の根っこや川も同じようなかたちをしている。

木きなエネルギーを速く、広く、すみずみまで行きわたらせるために長い時間をかけてつくりあげられた自然のデザイン。

デザインって、なにかを「もっといいもの、もっといい状態」にするためのしくみのことなんだ。

人間の体も、自然も、世界にあるものはすべてデザインされている。

ものだけじゃなくて、空間や人と人との関係もデザインできる。

料理がしやすいように冷蔵庫をキッチンの近くに置く。

これはくらしのデザイン。

あいさつをするだけで

おたがいに心が近づいて話しやすくなる。

これは人間関係のデザイン。

福岡 梓、ソーヤー海、他著

デザインって、なにかを「もっといいもの、もっといい状態」にするためのしくみ

この一文にとても惹かれました。

そして、自分がそれができているだろうかと心底疑いました。
正直、できているとは思えず、そこからずっと悩んでいます。

この世で一番神秘的なもの、美しいデザイン

この世で一番美しいものってなんだと思いますか?
人それぞれの美的感覚があるので答えはきっと色々でしょうね。

私は、「人間」だと思っています。

引用した文章にもあるように、本当に人の身体って素晴らしい性能を持つ、精密機械のようです。

血液の流れ、病気に抵抗する免疫組織、DNAの螺旋。
子どもを産んだことがある私ですら、どう考えても不思議な妊娠と出産のしくみ。

それぞれの臓器の役割や連携。解毒や栄養摂取のメカニズム。
現代でも解明しきれていない私たちのコアである脳。

そして、身体と密接に繋がる目に見えない「心」。

ドキドキやワクワクで高鳴る鼓動。
悲しいときも嬉しいときも涙が出る不思議。

目に見えないのに、心の中の美しさはその人の人生に大きく影響します。

どうやってこんな完璧で美しい機能を作ることができたのか。
本当に神秘でしかありません。
そんなスーパーな機能美を搭載し、私たちは日々寝て起きて食べて暮らしています。

中途半端が嫌いな頑固親父

突然ですが、私は星月夜として仕事をする限り、嘘はつかないことを信条としてきました。

そして、仕事のやり方ってきっとそれぞれですが、関わる人には時に厳しく接するタイプなんです。

描いている絵が優しめで、黙っていたらおとなしそうな見た目ですが(?)、実は中身はそうでもない。
芸術系と見せかけて体育会系。

なので、中途半端な気持ちの方は、まずその中途半端さを炙り出します。

しかも、少し感覚が強いので、相手の気持ちを読んでしまう能力がたまに発動。

怖っ・・・。

今、書いてて自分みたいな人に仕事頼みたくないなと思いました(笑)。

中途半端が嫌いなんでしょうね・・・。

そう、中途半端は嫌い。

なので、お客さんに接する時も、とにかくまずはその想いがどこまで本気で、かつビジョンがあるかを一番にお聞きします。
本気と書いてマジなんです。

でも、人によってはたじろいじゃいますよね。反省です。

話を戻しますが、多くのデザインの仕事は素晴らしい素材を「もっといいもの、もっといい状態」にすることです。

人間の身体や自然の植物たちの機能美にハッとさせられて、自分がやっていることを問われた気がします。

もっといいものを、もっといい状態にするってすごく高度なことです。

すでにある「良いもの」をデザインの力で「もっと良くする」

「自分はできている!」

なんて、とてもじゃないですが思えないです。

「そんな中途半端な気持ちなら辞めちまえ!」という頑固親父風の自分の声が脳内に響き渡ります。

本当に、そう。
中途半端な気持ちではできないです。

嘘はつけないです。

デザイナー名乗れないかもしれません。

こだわりを無くしてゆく、本当にやりたいことは?

こんな気持ちになって、今もまだたくさん悩みながら今後のことを考えています。

別に、肩書きとかはどうでもいいんですが、一番近いので「デザイナー」がわかりやすいと名乗っていました。
でも、そもそも私は絵を描くことが好きで、その延長でデザインの仕事をするようになったんですよね。

相変わらず絵やイラストは好きですが、いつの間にかデザイナーが本業になってました。
でも、やっぱりずっとさまざまな葛藤をしていたんです。

というのも、絵やイラストは表現をするものなので、そこにはどうしても「我」が出ます。
(イラストは商業的な側面もあるので、時に「我」を消しますが、消しすぎなのもよろしくないと思っている)

私はきっと一番は「絵」を描いて、内面を表現したいだけなんです。

でもそれって、ものすごい自己満足です。

デザインに自己満足はいらないですよね。
デザインは、自分を表現するものじゃないです。
お客様の伝えたいことを「代わり」に表現するだけなんです。
つまり、媒体。できたものはお客様のものです。

「我」なんてもってのほかです。

なのに、時々デザインとイラストを両方やると、表現しようとする自分と抑えようとする自分とにすごく葛藤しちゃうんですよね。

こんなこと書いてしまっていいのかしらと不安になりますが、本当のことなので白状します。

私はイラストの仕事だけしたいので、いっそ他のデザイナーさんがやってくれとまで思う時もあります。

でも、イラストを描けるデザイナーさんってお客さんにも重宝されます。
それに、世間ではデザインとイラストの境界も明確ではないです。

実際、デザイナーさんにはイラスト描けない人もたくさんいますし、逆も然りです。

自分はたまたま両方ともやってきたので今の形になりましたが、両方やってきたことへの葛藤が大きくなり、ここへきて本格的に悩み始めたアラフォーです。

仕事は、基本はお客様が喜んでくれることなのですが、やはり自分がワクワクしないとアイデアの入っている脳の中の箱がピーン!パカッ!と開かないんですよね。(私、箱が開く時たまに音がするんです)

年齢も上がり始めて価値観もだいぶ固まってくると、公私ともども多くの経験をして自分というものが確立してきます。

すると、自分が本当に大切なものがいつの間にか形骸化し始め、優先すべきこととして浮上します。
それは、決して物質にとどまらず、精神的なものや心のありようだったり・・・。

他人から見たら本当に些細なものでもありますし、お金では買えない幸せでもあったりします。

40代になり、まるで進路に悩む少年少女のように葛藤を抱えながら、さて、この先どんなふうに歩めばいいのでしょうか。

目は前についているから人間は前向きに生きるしかありません。
でもこうしてたまには不安な気持ちも吐露してみようと思い書いています。

年齢が上がってきたことや家族の心配、環境の変化、社会への疑問、相次ぐ地震なども複雑に絡み合って、先が見えない時代です。

時々立ち止まって自分の立ち位置を確認したり、本当の気持ちを自分に聞いてあげる作業は必要ですよね。

特に答えのないブログになりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました!

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